支援への思い

学習で困るということは

 お子さんの学習に関する悩みは、なかなか理解されにくいもののひとつです。多くの子どもが簡単にできることを苦手とする場合、時に「努力が足りない」と評価されてしまうことがあります。
また、お子さんに合った学習の方法や内容をお願いしても、それが「配慮」ではなく「えこひいき」と受け取られてしまい、理解してもらえないこともあります。
「他の子も頑張っているんです」「これでは社会に出てから通用しません」そうした言葉を教育機関から受け取り、深く傷ついている保護者の方に、私はこれまで多く出会ってきました。

 読み書き障がい(学習障がいのひとつ)について言えば、脳の働きの特徴によって文字がゆがんで見えるなどの困難が生じることがあります。こうした説明は専門書や紹介サイトにも多く見られ、事実だと思います。そして、そうしたお子さんに読みを無理強いすることは適切ではありません。
ただし、実際にはそのようなケースではないのに、必要な練習や学びの機会が十分に示されないこともあります。
 「この子は読み書きが苦手なんです。無理に読ませてはいけません」医療機関からそう言われ、どう支援すればいいのか迷っている親御さんにも多く出会ってきました。
 放課後等デイサービスの現場でも、学習課題に取り組んでもらえず、職員が困っている場面を何度も見てきました。学習に苦手さを感じているお子さんは、全力で抵抗することがあります。また、「教える」「教わる」という関係性の受け止め方によっては、「かけ算じゃなくてたし算にしようよ」と自分から提案することもあります。
 指導員は無理をさせることはできませんから、ときにはその申し出を受け入れることもあります。
「この子は学校で頑張っているんです。この子はこの子なりに努力しているんです」福祉機関からそう説明を受けても、「そんなことは分かっている。でも、そのうえで学習支援をしてほしい」と、言葉を飲み込むしかない保護者の方も少なくありません。

 教育・医療・福祉。学習障がいの支援では、どこに相談すれば解決するのか分かりづらいのが現状です。学校の先生も、お医者さんも、支援者の方々も、皆さんお子さんのことを真剣に考えておられます。
学校の先生が言う「努力の大切さ」も理解できます。しかし、ちょうどよい努力の加減が分からなくなるのです。
 医療の先生が言う「無理をさせてはいけない」も理解できます。けれど、どこからが無理で、どこまでが甘えなのか、境界が分からなくなるのです。
 支援者が語る「お子さんの頑張り」も、親御さんが一番よく分かっています。だからこそ、頑張った先に少しでも成果が見えることを願っているのです。多くの親御さんは、その願いが届かないまま傷ついているように思います。

 学びの主役は、当事者であるお子さんです。お子さんは、他の子どもたちと同じように学校を楽しみたいと願っています。「同じように」とは、授業が分かること、休み時間に友だちと笑い合うこと、給食をおいしく食べること。そうした大きな意味での「同じ」です。
 それは、大人が考える「インクルーシブ教育」や「合理的配慮」とは少し違う次元の話で、「自分なりに楽しく過ごしたい」という素直な思いです。
 その願いを邪魔してしまうのが、学習の困難さです。読めないまま座っている時間のつらさは、想像を超えるものです。

 また、「自閉症の子はひとりが好き」と言われることがありますが、私が出会ってきた多くの発達障がいのあるお子さんの中に、本当に友だちを求めていない子はいませんでした。
 ただ、すぐ怒ってしまう、泣いてしまう、自分には遊べないと思ってしまう。そんな理由で集団を避け、「ひとりが好き」なように見えるだけなのです。
 本当はみんなと遊びたいのに離れていく姿は、「本当は勉強したいのに、遠ざかってしまう姿」と重なって見えます。
 私の経験が限られているからかもしれませんが、心から勉強を嫌っているお子さんに出会ったことはありません。出会ってきたのは、合わない内容を、合わない方法で強いられてきた結果、「勉強が嫌い」と言わざるを得なかったお子さんたちでした。

 私は、学力を中心に、お子さんが自分の取り組みに自信を持てるよう応援したいと考えています。
そして、対話を通して「できた」「分かった」という喜びを感じ、それを次の学びにつなげていく。そんな経験を重ねていけるよう、支援を続けていきたいと願っています。